羊蹄山の頂上から移り行く太陽を望む

一度は経験したい、ニセコエリアのシンボル、羊蹄山で夕焼けと夜明けを望む

14 A4610

ニセコに戻ったら絶対にやりたいことがあった。ニセコのどの景色にも映り込んでるあの羊蹄山を眺めていつも考えていた。ー「登りたい」

そもそもは、冬に頂上まで登り、友人たちとスノーボードでクレーターを滑り降りるつもりでいた。3月ごろが適切だろうと考えていた。

Yotei Copy

残念なことに準備していたにもかかわらず怪我をしてしまい、最高のバックカントリー日和に部屋の片隅で羊蹄山を眺めていることしかできなかった自分を悔やむ。でも長年スノーボーダーとしてやってきた自分には、その滅入る気持ちこそが、本当に自分がやりたいことなのかどうかを明確に解らせてくれるものだと思っている。

「羊蹄山よ、待ってろよ」

あれから月日は経ち、ニセコに戻ってくる機会を得た。季節は夏。時期は違えど羊蹄山頂を目指したいという衝動には勝てず、あの時のリベンジを果たすべく、すぐに行動に移した。

季節に関係なく、羊蹄山の天気は移ろいやすく、天気予報はあてにならないことが多いため、ベストな日を待った。たいてい頂上付近にもっさりとした分厚い雲がかかり、その中はいったいどんな荒れた天気になっているのだろうかと想像してみたりもした。

14 A16512

天気はずいぶん前から心配性の私を悩ませ続けた。何週間もかけて綿密に天気をチェックした。変わりやすい山の気候とはいえ、その準備はとても重要だったのには、クレーターで(たぶん素晴らしいであろう)満天の星を眺めたかったからだ。問題は天気だけではなく、できればそれを一緒に味わえる仲間探しも重要な課題だった。

仕事があるので平日の日中に一緒に山登りをしてくれる友達なんてなかなかいない。(ずっと天気予報とにらめっこをして、やっと理想的な2日間連続晴れ、風がなく、夜も霧がかからない日が平日だった)数日前にムーンバーという飲み屋で飲んでいたとき、面白い出会いがあった。アーロンという名前のその彼は同じくニセコに何か月か住んでいて、羊蹄山登頂に憧れを持っていた。一緒に登ってみないか、早ければ早いほうがいい。後から2名(アラムとジョン)も加わり、こうして羊蹄山制覇に向けての仲間は集まった。

登山自体は楽しくその眺めは美しかった。登るにつれてその景色はさまざまに変化する。登山については前のスタッフブログで書かれていたので割愛するが、その頂上での時間について少し話そうと思う。

日が沈む少し前に頂上へたどり着いた。間もなく冷たい風が吹き始め、毎分ごとに気温が下がっていくのが感じられた。本当は、クレーターの中から、天の川が横切っていく様をタイムラプスで撮影したかったのだが、実際にそこにたってクレーターを覗いたとき、考えは甘すぎたと痛感した・・・何時間もかけて登った後の疲労もあり、もう陽が傾いて闇がやってこようとしていた。

Yogocrater

登ってくる途中で、倶知安市街、ひらふだけでなく、日本海も見下ろせるちょっとした岩の出っ張りを見つけたので、ここならいい写真が撮れる、と直感した。そこからの夕日は本当に素晴らしいもので、空気はつんと澄み、あてのない雲が漂っていた。地平線にはまるで絵画のような色彩の夕日が一日の終わりを告げていた。闇が北海道を包み始めたとき、ああ、この場所にこれてよかった、と改めて感じた。

14 A4653 Copy

強く冷たい風に吹かれて目が覚めた。噴火口から吹き荒れる風が、突き出た岩場をぐんと下から押し上げた。嵐ってこういうことを言うのかもしれない・・・とリアルに想像がつく。羊蹄山に限らず大自然の脅威、と同時に湧き上がる尊敬の念。結局あまり熟睡せずに朝を迎えることとなった。

やがて東の空がうっすらと桃色になり始めた。しっかりと朝が来たようだ。夜明けはその夕暮れ同様に美しく、眼下には雲の層が横たわり、下界の様子が何も見えなくなっていた。雲には羊蹄山の影が映り、てっぺんは地平線の向こうまで続いていた。時に「美」は人の想像を超えており、人間が日常的に踏み込むことができない場所にこそ、存在しているものと言える。ここは、まさにそんな場所の一つで、その自然の美とそこに存在する雄大さに尊敬の念を抱かずにはいられない。

羊蹄山、なんて場所だ。

”幸せだとか感謝だとか、もうその全部だ、この瞬間にこの場所に立てているということはなんとしても何かに残す義務がある。それが写真だろうと傷跡だろうとかまわない” -ミッキー・スミス

≪訳: YUKO MIYAKE≫

14 A4695 Copy