パウダーヨガの創設者カナミ・アンダーソンさんに会う
修行を終えて指導者に。パウダーヨガを創設するまでのカナミさんの人生を追いました
カナミ・アンダーソンさんはその人生を豊かに歩んできた人だと思う。海外での暮らしが長く、あまり引っ越し経験のない私のような一般人には想像もつかない。その世界中を転々とする中でも、「ヨガ」は彼女のいつも中心にあり、「地に足をつけること、自分とつながること、集中すること、必要なことは何なのか」を問い続けている。
2010~2011年の冬、ニセコのパウダースノーが彼女をニセコに呼び寄せるまではまだまだ旅の途中だったという。ただ、ニセコで直感した、そのエリアでの健康ブームの先駆けとなるかもしれない、やりたかったことがリアルに実現へと向かうその高まりを感じた。最初の何年かはうまくいかないことも多かったが、あきらめずに努力した結果、パウダーヨガは冬季の旅行客だけでなく、地域の人にも良く知られる大きな存在となった。
カナミ・アンダーソン - 彼女の想いや、パウダーヨガに至るまでの経緯などについてインタビューする機会を得た。
エクスペリエンスニセコ:あなたとヨガについてお聞かせください。ヨガに目覚めたきっかけはなんだったのでしょうか。
カナミさん:割と若いころにヨガに出会えたのはラッキーだったと思っています。18歳、高校を卒業してすぐにタイにバックパッカーとして旅に出かけたんです。小さい時から体を動かすことは大好きでしたが、ヨガの独特なポーズに惹かれたのはその時です。タイから戻った私はバンクーバーで素晴らしいヨガの講師に出会い、その先生がもっと私にヨガをはまらせたといっても過言ではありません。それ以来ヨガは私の人生でなくてはならないものになっています。
もちろんその練習の中で、体を使ったトレーニングも好きでしたが、23歳のときに父が他界し、それ以来もっと精神的な、信仰的な側面に重きを置くようになりました。父とはとても仲が良かったため、彼の死に対して向き合うことがとても受け入れられず、家族や友人に対しても、ふさぎ込んでいた時期でした。本当はそういう時期こそ、心をオープンにするべきなのはわかってはいたのですが。その気持ちが、ヨガに向いていき、逆にそこからそのつらい時期を乗り越えるきっかけにもなったんです。瞑想、自分に向き合う時間、練習を怠けないこと、意識をして呼吸するということ、普段これまで特に気にしていなかったこういう些細なことが、人生においてとても重要なことだと認識し始めました。
クスぺリエンスニセコ:お父様の死が、人生においてもとても大きな節目になったというわけですね。ご自分の中で、信念というか、哲学のようなものはお持ちですか。そこに変化はありますか。
カナミさん:その時期の私にとっての哲学なんて、何があってもマットを敷いてそこに立つ、ということくらいでしょうか。モチベーションが上がらなくても、ただ泣きたいだけのときでも、やってることが思うようにいかなくても、どんな状況であろうとマットの上に乗る。季節雇用で働きだしてからは良く旅に出ていました(今もですが(笑))いつもどこか違う場所にいたけど、絶対にぶれないものはヨガでした。
21歳の時に、ラフティングガイドになって以来10年間、カナダ、エクアドル、コロンビア、オーストラリア、ウガンダ、そして日本で働く機会を得ました。シーズンの終わりにはその仕事を終えるため、次のシーズンまでには次の目的地で次の仕事をするために移動する、そんな日々でした。転々とする生活は様々な場所へ行けたので意外と楽しかったです。そんな中でもヨガは、地に足をつけること、集中すること、自分をよく知り、何が大切なのかを教えてくれていたように感じます。
エクスペリエンスニセコ:長年いろんなカルチャーに出会ってきたのですね!ところでご自分で練習(修行)することから何がきっかけで人に教えようと思い始めたのですか。
カナミさん:アウトドアガイドを通じて、(カヤックやスノーモービルのガイドもかじりました)教えることって好きだなと感じたんです。人に新しい何かを、どうやってするかを教えるのは自分が極めてないと、楽しさを分かっていないとできない、人に教えることによって己を知るところに楽しさを見出したんです。都会派だった人をアウトドア派にするためには、どうすれば心地よく楽しんでもらえるか、パドリングの基礎から、急流での冷静さを保つ術、都会では味わえないことがまだまだこの世にはあるんだよということを見せる、挑戦に近いものがありました。
ヨガにどんどんのめりこむにつれ、次第にラフティングに対する熱意が薄れていきました。このとき、そろそろ潮時だと感じました。6年前に初めてヨガインストラクターのトレーニングをウィスラー出身の先生(ジュリア・マッケーブ)のもとでやったのですが、そのとき、ずっと前から、ヨガを教える、ということをしたかったんだ、と改めて気づきました。きっと、このとき、この人だと思えるタイミングを待っていたのだと思います。
エクスペリエンスニセコ:ヨガ講師でやっていくと決めてからも、今までのようにあちこち転々としてたのですか?なぜ、ニセコに来ることになったのでしょうか。
カナミさん:ヨガスタジオで教えるには十分な経験を積むことがが必要になってきます。ヨガの講師でやっていくと決めてから何年間かはいろんな経験をせざるを得ませんでした。その点では通常通る道よりいろんなことが順調に進んだため私は恵まれていたと思います。講師になるトレーニングを受けた後すぐ、初めてニセコに来ました。ラフティングに対する興味が薄れるのと反比例してウィンタースポーツ(スノーボードはこれまでもやってきていましたが)に興味を抱くようになりました。水上や四国でラフティングガイドをしていたときにもニセコのうわさはよく日本人の友達から耳にしていたので、一度行ってみなければと思っていたんです。
初めてニセコについたとき、ヨガを教えている人がいなくて、ヨガスタジオというものが存在していないことに気づいたんです。これは・・・自分でなんとかするしかない、とJセッカという建物の地下に場所を見つけ、教え始めたんです。最初はとても緊張しましたが、経験を積むにつれて徐々に慣れ、自分で教室を持っているんだと覚悟を決めるしかありませんでした。ニセコに初めて来たときから何か直感のようなものがあったので、ここで教室を開けるのにとても嬉しく思え、まるで夢のようでした。
エクスペリエンスニセコ:ひらふで初めてからの最初の何年かはどんな感じでしたか。現在のパウダーヨガに至るまでどのように変化していったと思いますか。
カナミさん:最初のシーズン(2010/11)は常にJセッカの地下にいたっていう感じでしょうか。2年目、友人のマリカに手伝ってもらい一緒にクラスを始めてからは、かなりよくなったと思います。そのころはお互い別のところでフルタイムとして働いていたため、それとは別でヨガクラスを経営するのは困難でした。「ヨガだけでやっていけたらどんなにいいかね!」何回口にしたか覚えてないほど口にしていたと思います。生活のために選んで働いていた仕事をしながら、これしか方法はないものか、と光熱費や必要経費の請求書を見ては考えていました。
2012/13はまた困難続きの年でした。今まで10年間やってきた、旅行に出たり季節雇用で働くことに疑問を感じ始めたのです。活力がみなぎらず、落ち込んでいました。何か、自分の人生を変えるようなことがしたい。でも、どうしていいかわからない。マリカは家庭のことで忙しくなり、私はGyu Barという場所で週1でクラスを開催することしかできませんでした。そんなパッとしない時期に、自分に問いただしたんです。「人生で何がしたいのか。もしなんでもできる保証があれば私はいったい何を選ぶんだろう」答えはヨガ以外何も出てこなかったんです。
当時私はニセコでヨガがやりたくてたまりませんでした。でもどうしたらいいかわからずに、やきもきしていました。そんなとき、私が講師の資格を最初に取った時のジュリア・マッケーブ先生がその年にインストラクターのレベル2のトレーニングを開催すると発表したんです。しかも「パッションプロジェクト」という、4000ドルかかる1か月の受講代が免除される奨学金プログラムも勧めてくれたんです。
そのプロジェクトは、何かに必死に取り組んでいる人が1年間のビジネスプランをまとめていること、が条件でした。その時にビジネスプランとして構想したのが、パウダーヨガでした。そのプラン、パウダーヨガは、ヨガを私の生業とする計画でした。ただその計画の資金も見通しも何もなかったため、きっと無理だろうと思っていました。その後、ジュリア先生から私に決まったという連絡を受け、もうやるしかない!と決心したんです。
エクスペリエンスニセコ:パウダーヨガとしての最初のシーズンはどんな滑り出しだったのでしょうか。そしてどんなふうにシーズンをつなげていったのですか。
カナミさん:2013/14の冬季、パウダーヨガにとっての最初のシーズンは思ったよりも厳しかったです。やっぱりいくつかの仕事と掛け持ちしなければ実現できずにいましたし、でも前に比べると、1日に1~2クラスのオファーを受けれたのは大きな進歩だと思います。そのシーズンのパウダーヨガは、今ではもうありませんが、羊蹄という建物の中でやらせてもらっていました。(現在のシャレーアイビー横)2014/15はシャレーアイビー内のレストラン横の小さなスペースにてクラスを行っていましたが1クラスに14人が定員でした。それでも1日に2回クラスをし、ワークショップも同じように行うことでこの年を乗り越えました。先シーズンはHirafu188の5階にある会議室にてクラスを開くことができ、何よりもその広さによって、今までで一番忙しいシーズンとなりました。
エクスペリエンスニセコ:パウダーヨガはこの数年で大きく進化を遂げましたね。今年は昨年よりももっと規模を拡大する予定ですか。今年のシーズンに向けて何かお考えになっていることを教えていただけませんか。
カナミさん:今年は新しいスタジオを構えます!パウダーヨガ創設以来夢見ていた理想の場所、AYAニセコ内(今までで一番広いスペース!)にです。ファミリーリフトの真下に立つ好ロケーションにあるAYA、ヨガもスキーイン・スキーアウトで楽しんでいただけるといいですね。ロッカー、更衣室、トイレ、音響効果も兼ね備え、プライバシーも保たれるスタジオとなる予定です。
クラスも1日3クラスに増やし、新しく、山に行く前に体を温める朝ヨガクラス(7時半~8時20分)も開催しようかと考えています。ニセコローカルの人にはシーズンパスも用意し、パス保持者にはもっとお得に利用してもらえるよう、冬前にはリリースしたいと思っています。この冬は1か月に1度はイベントも開催し、パウダーヨガが皆さんに常に新鮮に映るように心がけたいと思っています。
エクスペリエンスニセコ:あたらしいクラスや規模が拡大するにつれて今年は講師陣も増えたりしますか?
カナミさん:今年は7~8人の講師を迎える予定です。みんなそれぞれ経験や様式、知識も違います。また、大勢のゲスト講師によるワークショップや特別クラスも考えています。色んな講師による受講、様々な様式の体験、ヨガに関することならパウダーヨガ、と呼ばれるような、素晴らしいスタジオにパウダーヨガを導いていきたいと思っています。
エクスペリエンスニセコ:ニセコでビジネスを展開するにあたり、何が最も苦労する点だと思いますか?
カナミさん:私にとっては一番の苦労は場所探しでしたね。ニセコはまだまだ発展途上のスキーリゾートです。古くからある建物にはヨガに適したスペースはほとんどなく、話したようにあちこちで、できる場所ならどこでもヨガを教えてきました。探すのは一苦労ですよ、どんな場所でも見てみないとわかりませんから。それは今も変わりません。これまで使ってきた場所の写真を見せれたらいいのですが・・・今だから笑えますけど。
エクスペリエンスニセコ:パウダーヨガのきっかけとなったジュリア先生の奨学金以外で、ここに至るまでに何か驚きや出会いはありましたか?
カナミさん:そうですね、やっぱりこれほどの人がヨガクラスに対して反応してくれたということですね。ヨガに興味がる人がいることは想定内ですが、クラスに来てくれる人数や、決まった曜日に必ず来てくれる人など、それは結構驚きでした。季節雇用の人(お金を使うことにシビアな人が多いですが)にもシーズンパスをお勧めし、毎日のように来てもらるように動きたいです。忙しい中来てくれるのを見るとすごくうれしいですから。
エクスペリエンスニセコ:冬季だけでなく、通年通して営業されることはお考えですか?
カナミさん:もちろんです。もう少し夏にお客さんが増えるようになってからかな、とも思います。もし、ひらふにマウンテンバイクのパークなんかができたりすると夏のお客さんも増えて、ヨガに興味のある人たちの集客も見込めるようになると思います。
エクスペリエンスニセコ:最後に!ニセコでお気に入りのアクティビティや読者にお勧めのスポーツはありますか?
カナミさん:ありきたりですみませんが・・・スノーボードですね。特にミズノノサワコースが好きです。パウダーを体験したい人にはお勧めです。冬は東山エリアに住んでいますが、すぐ近くにミズノがあるので起きてパウダーを味わってから10時半に仕事するというスタイルです。ここらへんの地形は本当に多様性に富んでおり、木々の間を滑りながらパウダーはあちこちで体験することができますよ。
パウダーヨガ、カナミさんをもっと詳しく知りたい方はpowderyoga.comをご覧ください。
≪訳: YUKO MIYAKE≫